(ネタバレ注意)映画『イミテーション・ゲーム』を見た

クリス・ペプラーさんが何かの番組で「アラン・チューリングを取り上げた映画」として紹介していたのをたまたま聞いて、面白そうだなと思い、思い立って見てきました。

アラン・チューリングのことを知ったのは、Googleのロゴに生誕100周年が取り上げられた2012年6月23日です。ロゴをきっかけにWikipediaの項目を読みました。

以下、歴史に沿った内容が映画になっているため、どうがんばってもネタバレにしかならないので、「続きを読む」でたたんでおきます。


第二次世界大戦エニグマの暗号解読、極秘の任務、戦後の同性愛を理由とした逮捕、などなど、いくらでもドラマチックに、センセーショナルに描こうと思えば描けた内容を、丁寧に淡々と描いているな、というのが最初の感想でした。内容が内容だけにもちろんスリリングで、はらはらするし、盛り上がるところもちゃんとあるんですけど。暗号解読機はかっこいいし、子供の頃・戦中・戦後の3つの時間軸を行き来するし、複雑な作りのはずなのに、見終わった印象は「静かな絶望」だったのでした。

アラン・チューリングが同性愛者であるという話題の取り扱い方にも好感を持ちました。直接の描写は一切なく、せりふと文字で語られるのみで、それによってかえって「ゲイである人がごく普通の暮らしをごく普通に(といってもアラン・チューリングは波瀾万丈でしたが)している」ことが強く伝わってきました。パンフレットにあったグレアム・ムーア氏(脚本・製作総指揮)の言葉を引用します。

仮にゲイではない数学者の映画だったら、誰もそんなシーン(セックスシーンのこと)が必要だとは言わないだろう。

10代のアランが最初で最後の恋をするシーンを、僕らは活き活きと描いた。

映画の公式サイトやポスターに使われている「挑むのは、世界最強の暗号――。世界絶賛!泣けるミステリー!!」というのはちょっとなんか違うのでは?と終わってから思いましたが、まあ映画なのでしょうがないですよねえ。

ストレートに泣けるようなシーンではなかったかもしれませんが、「あなたが普通ではなかったからこそ、世界は素晴らしい」という意味のせりふ(ちゃんと覚えられなかった!)とそのシーンでちょっと泣いてしまいました。その素晴らしい世界に当時受け入れられず、むしろ排除されたという事実は重い。

ものすごく余談。隣にいた若いカップルが、退屈だったのか、1時間経過したあたりで抱き合うなどしていたのですが(別にうるさいとかなんとかではなかった)、デートで映画を見にきたのだったら『イミテーション・ゲーム』はとてつもなく似合わないなと思いました。ムーミンとかの方がよかったんじゃないかな……。