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「ある日、地球から5人の子供が宇宙の果てにさらわれた」そして50年後……

こんにちは。id:ayakoya です。

この記事は、「好きなもの」をテーマとするはてなスタッフアドベントカレンダー16日目の記事です。昨日は id:mohritaroh の「出不精なんだけど出歩くのが好きという話」でした。お誕生日おめでとうございました。明日は id:stefafafan です。

さて、好きなものと言ってもいろいろな切り口があるなと思っており、何を書くかさんざん迷ったのですが、今回はテレビ番組「超新星フラッシュマン」、そして放送から30年後のことを書いてみます。1986年開始と、もうだいぶ前の作品なのでネタバレはある程度しても構わないだろうと想定していますが、もしどうしてもネタバレがお嫌いな方がいたら1スクロール分くらいまでで!

スーパー戦隊シリーズ第10作「超新星フラッシュマン」とは

超新星フラッシュマン」は、1986年3月から1987年2月までの1年間放送されたスーパー戦隊シリーズ第10作です。ひとつ前は「電撃戦隊チェンジマン」、ひとつ後は「光戦隊マスクマン」でした。スーパー戦隊シリーズはなんと私と同い年であり(第1作という扱いになった「秘密戦隊ゴレンジャー」は1975年放送開始で2年間放映)、現在放送中の「動物戦隊ジュウオウジャー」はスーパー戦隊シリーズ40作品記念作です。

スーパー戦隊百科:超新星フラッシュマン
超新星フラッシュマン - Wikipedia

私の明確な記憶があるのは第3作の「バトルフィーバーJ」からで、その後「電子戦隊デンジマン」「太陽戦隊サンバルカン」「大戦隊ゴーグルファイブ」「科学戦隊ダイナマン」「超電子バイオマン」「電撃戦隊チェンジマン」と見続けました。そして第10作の「超新星フラッシュマン」は、中国残留日本人孤児をテーマに、「ある日、地球から5人の子供が宇宙の果てにさらわれた。そして20年後」というナレーションからオープニングがスタートします。その5人の子供(ジン、ダイ、ブン、サラ、ルー)は、自分たちを連れ去った「改造実験帝国メス」から地球を守るため、そして自分の肉親を捜すため、地球に帰還し、メスとの戦いに身を投じていきます。

ちょうど中国残留孤児の定期的な訪日がマスメディアで報じられていた頃で、当時、新聞の全面を使って掲載された写真や、家族のヒントになりそうな手掛かりや特徴などをよく見ていました。小学校高学年ながらもなんとなく国際情勢への興味が出てきていて、それとリンクした戦隊シリーズということで、やけに印象に残っています。また、毎週きちんと見るスーパー戦隊シリーズとしてはフラッシュマンが最後になりました。フラッシュマンの最終回が非常に印象的だったことで「やりきった」という気持ちになったのと、中学生になって放送時間帯と生活時間がうまく合わなくなった、という2つの理由によるものです。

フラッシュマンへの思い入れ、衝撃の最終回

最終回が印象的だったと書きました。実はその数回前から、フラッシュマンの主人公たちは、育ったフラッシュ星を離れるとフラッシュ星以外の環境に適応できず弱っていく「反フラッシュ現象」に襲われます。故郷であるはずの地球から拒絶されながら、それでも地球のために、フラッシュ星へと戻るまでのタイムリミットと敵の2つとまさに死闘を続ける5人。テレビ画面での表示は覚えていないのですが、「あと◯日」というテロップが出ていたはずです。

また、5人のうち誰かの本当の親かもしれない時村博士一家も、タイムリミットのことを(確か)知らずに子供を探し続けます。

最終回、フラッシュマンがメスを倒すのとほぼ同時に、時村博士の子供が誰だったかがわかります。しかし、親子としての再会が果たされることはないまま、5人は地球を離れます。遠ざかる地球を窓越しに見つめ、泣きながら地球との別れを惜しむ5人。その後、彼らは体を回復させるために眠りながら、育ったフラッシュ星へと帰っていきます。そこにかぶさるナレーション。「ありがとう、フラッシュマン。さようなら、フラッシュマン

えええええ!!!!!

こんな救いのない戦隊シリーズがあったでしょうか(後に鳥人戦隊ジェットマンの最終回が代表的な扱いになっています)。小学生だった私は大変衝撃を受けました。あれだけ地球を愛して戦った5人が、あれだけ反フラッシュ現象に苦しみながら戦った5人が、何も報われることなく地球を追い出される結末とは……! せめて親子として会うくらいしてもよかったのでは……!

しかし、最初から最後まで見続け、フラッシュマンの関連書籍を買い、途中あまりにも物語を愛した挙げ句、番組宛てに「フラッシュマンのような番組に役者かスタッフとして関わるにはどうすればよいのか」という問い合わせのハガキまで出した自分*1にとっては、非常に納得のいく結末でもありました。きっとフラッシュ星の科学の進歩により、反フラッシュ現象を乗り越え、5人はまた地球に戻ってこれる……!(ジンがそう言っていた)

あまりにもきれいに完結したお話によって、私の中のスーパー戦隊シリーズ熱は、いったんすっかり収まってしまいました。ドラゴンクエストIIIのエンディングで「TO BE CONTINUED TO DRAGON QUEST I」を見た瞬間のように。

スーパー戦隊シリーズとの再会

いったん視聴から離れてしまい、番組のメインターゲットからも外れた私は、その後長らくスーパー戦隊シリーズを見ることはありませんでした。トレンディドラマ全盛期に人気となったジェットマンも見ないまま終わりました。かろうじてまたちらほら見るようになったのは、社会人になって土日関係ない仕事に就いてからです。放送時間帯が夕方から日曜の朝に移動したため、日曜に仕事へ出かける前に流し見するという習慣が生まれました。

また、ひょんなことからバースデーソング主催のライブイベント「スーパー戦隊“魂”」(最後の「魂」はスピリッツと読みます)に足を運ぶようになりました。

スーパー戦隊“魂” - Wikipedia

最初は同系列のイベント「スーパーヒーロー魂」「スーパーロボット魂」なども見に行っていたのですが、やはり戦隊ものの方が圧倒的に懐かしく楽しいため(ロボットアニメやメタルヒーローにはあんまりなじみがなかった)スーパー戦隊“魂”に狙いを定めるようになりました。今年も2days、行って歌って叫んできました!

BIRTHDAY SONG

もちろん見ていない戦隊、見ていても知らない挿入歌などもあるのですが、ライブの回数を重ねるとなんとなく覚えますし、合いの手も入れられるようになります。ささきいさおさんの歌うゴレンジャーのエンディングテーマ「見よ!! ゴレンジャー」などは、合いの手どころか観客がメロディーを歌い、ささきいさおさんがそれをバックにナレーションをするという楽しいイベントが発生します。

何より、歌や演奏が素晴らしいため、曲を知らなくても楽しめる。楽しいということは自然に歌手や演奏者に対して愛着が湧くようになります。その結果、ライブに臨むにあたって予習や復習をするようになり、CDを聞いて気持ちを高めたり、うろ覚えの部分を補強したりし始めます。見ていない戦隊でもライブを通して理解が深まります。

そして駄目押しとして、特撮を愛する鈴木美潮さん(読売新聞専門委員/日本特撮党党首)が主催するトークライブイベントに、不定期ながら出かけるようにもなりました。

鈴木美潮
日本特撮党 : 特集 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

大の特撮好きとして有名な鈴木美潮さんは、特撮出演者、特撮ソングの歌手、スーツアクターなどをゲストに招くトークイベントを定期的に開催しています。「スーパー戦隊“魂”」で放送を見ていないながらもその歌声にしびれた、電磁戦隊メガレンジャーのオープニング・エンディングを歌う風雅なおとさんが、そのイベントのひとつ「歌祭46~風雅なおとの巻」(2016年6月)に出演するということを知って初めて見に行き、そこから通い始めてもう3回ほど。ゲストは持ち歌だけではなく来歴にこじつけた歌も披露するのですが、スーパー戦隊“魂”と同じく、知らない曲でも歌声の良さというのは伝わるのだなと毎回びっくりしています。

340 Presents「超新星30周年同窓祭」開催! ジンが、ダイが、ブンが、そしてサー・カウラーにレー・ネフェルが……

ある日大変偶然に、鈴木美潮さんのブログで以下のような記述を発見しました。

340 Presents「超新星30周年同窓祭」

シリーズ40作の節目の年に、30周年を迎えたこの方たち。共に戦った仲間はもちろん、かつては角突き合わせた敵とも、久しぶりに、地球に集まり同窓会です。
同窓会事務局には、「出席」のハガキが続々到着中です。想定外の同窓会になるかもしれません。

【出演】垂水藤太、植村喜八郎、石渡康浩、萩原佐代子、中田譲治、ほか色々調整中。

30年の時を超えて | 340.340340.net

何度も何度も目にしてきたフラッシュマンの役者さんの名前がそこにはありました。萩原佐代子さんはダイナマンで主人公側のダイナピンクを演じていますが、私にとっては美しい敵、レー・ネフェル。その後「妖獣士ネフェルーラ」となり、リー・ケフレンを父と慕い、最後までフラッシュマンと戦い抜く人(豹?)です。「調整中」ということは、もしかしたら他の人も少し出てくれるのかも……という淡い期待が生まれました。

その結果がこれ!

www.yomiuri.co.jp

もう美潮さんご本人による見どころたっぷりのレポートがあるので詳細は省きますが、ナレーションを担当した小野田英一さんが冒頭と最終回のナレーションを再現し、「そして、30年後」。レッドフラッシュ(ジン)役の垂水藤太さんが「超新星!」と言った後に全員で「フラッシュマン!」と名乗りをした後、既に芸能界を引退しているサラ役の中村容子さん、ルー役の吉田真弓さんがそろう。「プリズムフラッシュ!」の掛け声での変身ポーズ、そこにスーツアクターのうち4人(お一人は療養中)が出てきて決めポーズ。

なんかものすごいものを見ているぞ、これは美潮さんが起こした奇跡だぞ、と思いながらただただ舞台を見つめておりました。垂水さんの「超新星!」の重々しさが、ああ子供の頃憧れていたあのかっこいいリーダーの言葉なのだ、とやたらと感慨深く響きました。

フラッシュマン側だけではなく敵であるメス側もほぼ勢ぞろいし、リー・ケフレン役を演じた清水コウ治(コウは糸へんに宏)さんまでが舞台に上がり、最終話の再現台本でレッドフラッシュとの戦いを演じます。レッドのスーツアクター・新堀和男さんと萩原佐代子さんが加わって、実際には声も出せず固唾をのんで見守り、内心では「うおおおおお」と叫びまくっていました。

また、劇中音楽などを手掛けた田中公平さんが登場して弾き語りを披露されたのですが、当日は全くお名前を存じておらず、アニメ「ONE PIECE」の「ウィーアー!」を作った人だということを後にWikipediaで知りました。あんまりちゃんとは見ていないONE PIECEの中で本当にこの曲わくわくするな!と思ったのが「ウィーアー!」だったんですよね……。作曲者名も知らなかったというのに、好きな音楽というのは意外なところでつながるものなんだなと実感*2しました。

超新星フラッシュマン」を愛し続けてきてよかった

スーパー戦隊シリーズを愛する方々の中には、きっと「マイベスト戦隊」があることでしょう。私は主題歌でいえばサンバルカンチェンジマンが大好きで、歴代レッドの中ではバイオマンのレッドワンがほんの少しの差でトップです。それでも、音楽もストーリーも主人公も敵もすべてひっくるめて一番好きなのはフラッシュマンでした。

そのフラッシュマンが、悲しい最終回から30年を経て、1日だけでも地球で5人そろった姿を見せてくれた、というように私には映りました。そしてどこかに続いているであろうフラッシュマンの物語の中では、フラッシュ星に戻った5人が元気になって地球に帰ってきてくれるはずだ、という気持ちになれたのです。

紆余曲折を経てはいますが、小学生の頃の私の行き場のない気持ちを最終的に救ってくれたのは、鈴木美潮さんだったように思います。美潮さんのイベントはとにかく視点が濃く(視点が濃いという表現はないと思うのですが、高いでも深いでもなくとにかく濃い……)、一度行くといろいろな知識を吸収できます。さらに、メディアもジャンルも規模も違えど「編集」という視点から見ると、イベント運営や司会、ゲストとのつながり、構成の組み立て方、トークの進め方などが本当に勉強になります。そして何より、自分がお好きな分野を自分の「読売新聞」フィールドでも展開し、自分ならではのやり方で広げていっているのは、非常に素晴らしいことだと思っています。

まさか、小さい頃に何気なく見ていたはずのスーパー戦隊シリーズが、こんな形で今もなお身近に感じられるとは思ってもみませんでした。ニチアサで今放映している動物戦隊ジュウオウジャーもおそらく誰かがずっと愛していくのだと思います。子供だけでなく大人の心の支えになるスーパー戦隊シリーズ。ゴレンジャーから順々に主題歌を歌いながら家事に励むと進みが早く、いい気分で終えられます。なかなか毎週きちんと視聴することはできていませんが、歌やイベントを通して、これからも親しんでいきたいです。

*1:分野は全く違いますが、その後「テレビと関わる」というささやかな夢は叶うことになります。今思えば。

*2:全く別の文脈で好きだった「Popcorn」(電気グルーヴなどがカバー)と「Baroque Hoedown」(エレクトリカルパレードの原曲)に同一の作者が関わっていることをずいぶん後になってから知った。

編集からディレクターになって

こんにちは、id:ayakoya です。この記事は、「はてなディレクターアドベントカレンダー2016」の12日目です。昨日は id:chira_rhythm55 の「無駄なことなんてひとつもない」という記事でした。


私がディレクターに就任したのは、アドベントカレンダーが始まったのと同じ12月1日です。つまり、私はディレクターになってまだ12日、営業日でいえば8日目を過ごしているところです。

私がはてなに入社したのは2008年7月で、在籍9年目に入りました。ディレクターになるまでは何をしていたのかというと、

……と、会社が徐々に成長していくなかで、多様な仕事を経験しました。おおまかにまとめると5種類くらいかなと思い返していたのですが、実際には「まとめられない」「思い出せない」と書くのが正確なような気もしてきました。

はてな編集部ブログ「編む庭」にも少し来歴を書いた通り、2010年から「編集」という職種に属し、主に専門性を高め、発揮する方向で業務に携わってきました。ビジネス開発本部のメンバーとともに「はてなブログMedia」に関わったり、ディレクターやエンジニア、デザイナー、プランナーなど社内の各職種と一緒に業務を進めたり。そこには広報やマーケティングを担当していたときに得られた、運営するサービスをどう伝えるか、どう見せていきたいかを考える視点が活きたように思います。もちろんエンジニアが多くいる会社ですから、エンジニアリングへの理解や関心を深める場面も多くありました。

editor.hatenastaff.com

「編集」という仕事はアウトプットである書籍、雑誌、Webメディア、記事、文章など、個別のアウトプットと連動して語られることが多いように思いますが、実際にはそのアウトプットが世に出るまでのすべての工程に何らかの形で関わります。著者と読者をつなげられるような企画について、まだぼんやりとした構想の段階から徐々に形にしていき、それを進めるために必要な作業を洗い出し、ひとつひとつがうまく進むように前へ引っ張る、後ろから押す、障害を取り除く、ということをしていきます。さらに、私たちが携わっている「Webの編集」では、世に出た後にどのように広く読まれてほしいかについても考えを巡らせる必要があります。

ディレクターという職種に就いた今、この仕事は編集という仕事を拡張したものだと思うようになりました。専門職として長い時間を過ごした自分にとって、「ディレクター」の役目はまだ正直“おっかなびっくり”という部分も大きいのですが(何しろまだ8日目です)、事業・サービスの成長、プロジェクトの遂行のために、チームメンバーが円滑に仕事を進められるように前へ引っ張る、後ろから押す、障害を取り除く――これって今までやってきたことを応用すればいいのではないか? きっとうまくいくのではないか?などと考えながら、仕事を進めることができています。

幸い、社内にはアドベントカレンダーに参加しているような職種の先輩が多くいます。ディレクターとしての9日目以降も先達に学びながら、そしてこれまでやってきた編集(広報もマーケティングも!)という仕事を最大限に活かしながら、チームの役に立っていくぞ、やっていくぞ、という気持ちになっています。

はてなディレクターアドベントカレンダー13日目の担当者は、発案者でもある id:jusei です!

クラブイベントとライブで「ライブ用耳栓」を使った

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もうだいぶ前のことになってしまったのですが、生まれて初めてクラブイベントというものに出向きました。

IMAP++ | 音楽喫茶 茶箱 sabaco music&cafe
10月30日 - にゃんにゃかにゃん

とはいっても知り合いが中心で、最初はめちゃくちゃ緊張するかと思ったらそんなふうにもならず、ソファがあったので酔っ払ったらぼんやり座ったり、たまに知っている曲が出てくると立ってわいわいしたり(クラブで体をゆらゆらさせるってどんな感じか想像できなかったけど、V6のコンサートと同じような感じでいいんだなとわかりました)、知り合いではない女性だけどかっこいい格好できれいなたたずまいで楽しんでる様子を見ておーっと思ったり、もともとテクノっぽい音楽が好きだったけど割と何でも聴けば楽しいのかもと気づいたり、とても楽しかったです。

それはそれとして、私はもともと「大きい音」が苦手でした。よく渋谷などを走っている宣伝カーの音、車やバイクで高らかにうなってるエンジン音、酔っ払いがたくさん集まっている繁華街の歓声などなど、大きい音が強制的に耳に入ってくると混乱するというか、ざわざわするというか、不快な気分になることが多くあります。「うるさーい」なんて小声で言って気分を発散させることもあります。

そんな自分がクラブに行って大丈夫なのか、音を楽しめるのか、と不安でしたが、同僚から「ライブ用耳栓を使うといいですよ、なんだったら普通のイヤホンでも耳に入れておくだけで違いますよ」と教わりました。それで思い出したのが以下の記事。

sauce3.hatenablog.com

なるほど、これはライブについて書いているけど、クラブでも同じなのだな!と思い、e☆イヤホン 秋葉原店に出向いて耳栓を探しました。MusicとかDanceとかSleepとかはわかるけど、DIYやMoto、Officeなんていうのもあるんですね。確かにバイクに乗っているとき意外とうるさくて、ヘルメットをかぶっているからなんとかなっている感じなので納得。

Professional Music | 製品紹介 | Crescendo

結局「クラブイベントに向けて気分を高めていくぞ」というつもりで、「Dance」を買いました。装着風景はこんな感じ。

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実際にイベント会場で装着してみると、音全体が少し抑えられた、けどもわもわしない、という感じで快適に聴けました。ただし、「装着したまま会話もOK」と書いてあったのに、意外と会話ができませんでした(私の聞き取り能力の問題かもしれない)。話しかけられていることはわかるけど意味が取れなくて、そのときだけ耳栓を片方外す、などしていました。

これはなかなかよいのではないか?と思い、11月5日~6日に開催されたスーパー戦隊“魂” Ⅹ 2016「21世紀編」「20世紀編」(2日とも参戦しました)にも使ってみました。以前からこのライブのシリーズにはちょくちょく行っていたのですが、会場から出ると耳が聞こえにくくなっていることが多かったのです。歌も演奏も素晴らしいのですがそれとこれとは別ということで、2日とも使ってみたところ、スピーカー近くの席でも快適! MCも聞き取れる! コーラスだってちゃんと聞こえる!

このときもやっぱり、私にとっては会話には不向きのようで、話しかけられてもうまく聞き取れないというのはあったものの、会場を出た後に耳の違和感はまったくありませんでした。

音楽を聴きに行くといえばせいぜいクラシックか吹奏楽か競馬場のファンファーレくらいだったのですが、クラブはそんなに怖いところじゃないよというのがわかったのと、これまで足を運んでいたライブもより快適に聴けるようになったというのとで、耳栓を愛用していこうと思います。あんまりこれまでの生活に縁がなかったアイテムだったのでついつい忘れることがあるのですが……(そのときはイヤホンを代打にしました)。

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「元気になるシカ!」(藤河るり著)を読んだ

藤河るりさんのコミックエッセイ「元気になるシカ!」Kindle版を読みました。新宿の紀伊國屋書店で積んであったのを見かけてぱらぱらして気になっていて、後で買うか検討するかーと思ってたんですが、後々検索したらKindle版が見つかったのでついぽちっと……。当初卵巣のう腫と診断され、その後卵巣がんとわかって、手術・抗がん剤治療を経ていく闘病記です。

支えてくれる人がいるからこそ、前を向いて病と闘える。
「生きる力が湧いてくる」「涙なしに読めない」と
ネットで絶大な人気の婦人科がん闘病マンガが、
50P以上の未発表秘話を加えてついに書籍化。

すぐに読み通してしまったのですが、涙涙の闘病ではなく、きわめて冷静に自分のことも病気のことも描いているように読めました。シカのキャラで、抗がん剤治療中の表現がやわらいでいるというのもあるかもしれませんが……。卵巣がんと私が罹患したチョコレート嚢胞は割と近い関係にある病気だと思っているので、とても勉強になりました。

藤河さんが開腹手術を受けるまでの流れは、私が卵巣のう腫だとわかってから腹腔鏡手術を受けるまでの流れとほぼ同じでした。がんの可能性を示唆されたかされないかは大きく違いますが、卵巣のう腫/境界悪性腫瘍/卵巣がんは、実際に手術してみるまでわからない、というのが定常だそうです。チョコレート嚢胞についてはMRI検査でほぼ判別可能らしく、「ほぼ良性でしょう、一応開けてみるまでわかりませんが……」というニュアンスでしたが、それでも手術後に担当医から直接聞くまでは確定しないと覚悟はしていました。

チョコレート嚢胞は何年かおきに再発する可能性が高い病気で、かくいう私もスパンは長いものの経過観察中であることには変わりません。手術を受けたのは38歳のときでしたが、40歳を超えてチョコレート嚢胞が再発すると、がん化する確率が少し上がります。チョコレート嚢胞から卵巣がんになる確率や患者の予後については現在も研究中だそうで、私は患者の追跡調査に協力する旨の契約書に同意するサインをしています。つまりこのまま元気でいても、再発しても、再発の結果がん化しても、何かしらの形で研究の成果につながる=住所などを知らせていて問い合わせなどを受ける可能性がある、ということです。かかりつけ医の先生はちょっと申し訳なさそうにしていましたが(拒否するのも自由でした)、役に立つのであればどうぞどうぞ、とサインしました。

「私が運良くそちらにいかなかった未来」を描いてくれている「元気になるシカ!」では、卵巣がんにはっきりした原因がないことを丁寧に書いています。境界悪性腫瘍を乗り越えた麻美ゆまさんも、明確な原因は存在しないことを以前語っていらっしゃいました。チョコレート嚢胞の場合は「子宮内膜症性卵巣のう腫」という別名があるくらいで、子宮内膜症があると発生する確率が上がる、という感じだそうです。他の種類の卵巣のう腫になるともはや原因不明すぎる。漫画中では「交通事故にあったみたいなもの」と表現していてまさにこの通りなので、まめに婦人科で検査を受けるのは本当に大事だな……と思います。

関連記事

ayako.hatenablog.jp

自分の病気についてブログを書くこと

昨年12月にこんな記事を書きました。
ayako.hatenablog.jp

卵巣のう腫(卵巣良性腫瘍)の一種(チョコレート嚢腫、子宮内膜症性卵巣嚢胞)と診断されてから、その話題だけのブログを作ってまとめよう、後から誰かに検索してもらうために役立てよう、と思っていたものの、手術を経て約2年の経過観察を終え、今はかかりつけ医のところに戻って定期的に通う身となっては、あんまり系統立てて書くような気力も起きずそのままにしていました。「全部書き起こすのが面倒」というのもありますが、卵巣のう腫そのものは実は極めてありふれた病気である、というのも大きい要因です。

卵巣のう腫には、漫画「ブラック・ジャック」の登場人物・ピノコのモチーフになった皮様嚢腫(皮膚とか歯とか髪の毛とかが入っている)や粘液・液体が溜まるのう腫など、いくつか種類があります。そのいずれも、良性であれば、悪性腫瘍や境界悪性腫瘍よりずっと簡単に治療が進みます。それも「特に書かなくてもいいかな……」と思った理由の一つです。のう腫がお腹の中でねじれて激痛を起こす「茎捻転」さえ起こさなければ、のう腫そのもの単体での影響は、そんなに表立っては出てきません。それ以外の関連する症状は割と多いのですが。

そんな感じで特に考えもせず過ごしていたところに、以下のような記事が出てきました。

managed-heart.hatenablog.com
oppai-survivor.hatenablog.com
ayukahit.hatenablog.com

こういう形で「誰かがそのときの気持ちや様子を書いている」というのは大事だなぁと思います。かといって、今定期的に通院するくらいしかトピックのない私が、病気に特化したブログを作っても、1記事か2記事書いて終わりになってしまいそうです。そして、「病気の軽重」「命に関わるか関わらないか」でつい考え、やっぱりありふれた病気だしそんなに需要ないや、という結論に至ってしまいそうです。自分が当時あんなにいろいろ検索したのに!

となると、なんとなくふと思い出したときにせめて記事単位くらいでまとめておけばいいのかな、とちょっとだけやる気が出てきそうな気がします。

意思表示だけで終わらせるのもなんだか気が引けるので、自分がいつもレファレンスブックとして手元に置いている本を紹介します。

病気がみえる vol.9: 婦人科・乳腺外科

病気がみえる vol.9: 婦人科・乳腺外科

以下の記事で産婦人科医の宋美玄さんが勧めていた「病気が見える」シリーズの「婦人科・乳腺外科」版です。実は同僚エンジニアが妊娠・出産を理解するために「産科」版を買ったと言っていたので、それを機に購入していました。医療関係者向けの本ではありますが、診察中のインフォームド・コンセントの場面ではいろいろな用語を聞くこともありますし、それを自分なりに理解して頭に入れるためにはかなりいいのではないかと思います。私は乳腺でも人間ドックで引っかかったことがあるので、乳腺外科の部分もたまに読んだりしています。通読には向きません。

srdk.rakuten.jp

この15年間で変わったもの、変わらなかったもの

q.hatena.ne.jp

15年前の7月にはてなの最初のサービスである「人力検索サイトはてな」が始まりました。

トップページ、ロゴマークのリニューアルについて - はてなの日記 - 機能変更、お知らせなど

2005年9月までは「www.hatena.ne.jp」が人力検索はてなのトップページでしたね。なつかしい。

15年間で変わったもの、というか「こと」は、自分自身がはてなに入社したことでした。あと1週間で入社から8年経ちます。従業員数が約100人となった今では、はてなの15年のうち半分以上を過ごしている数少ないスタッフとなりました。8年の中にも大きく変わったこと、小さく変わったこと、気づかないうちに変わったことなどいろいろありますが、社会人人生の中でも一番長く在籍している会社になるとは、正直、入社時には思っていませんでした。

15年で変わらなかったものといえばインターネットが好きなことでしょうか。2001年、私はレンタルサーバーを借りて、HTMLをメモ帳でせっせと書いては“ホームページ”を更新していました。いろいろな人の作るサイトを読んで回るのが好きでしたし、ちょうどテレホーダイからADSLに移り変わっていくころで、好きなときにいつでもインターネットしてていいんだ!とわくわくしていたのを思い出します。

www.hatena.ne.jp

10周年からもう5年! 時間が経つのは本当に早い。

インターネット的な何か

私の趣味の一つに「ブログの過去ログをひたすら読む」というものがあります。特定の誰か、とか、話題になっている誰か、ということはあんまりありません*1。定期的に読み返すのではなくて、気がついたら延々読んでいて、目も肩も腰も疲れる。大掃除や引っ越し準備でうっかり本を読み返して時間が過ぎ去るのと少し似ています。

今は雨宮まみさん( id:mamiamamiya )のはてなダイアリー「弟よ!」を少しずつ読んでいます。ちょうど最近同僚に文庫の「女子をこじらせて」(幻冬舎文庫)を貸していたのと、先週から風邪を引いて体調を崩し気味だったのとで、ちょっとずつ読んで楽しむ読み物のような気持ちで読んでおりました。「弟よ!」の更新、もういつだったか思い出せないのですが、まあまあ初期の方から読んでいたはずだったんです。しかし今読むと意外に覚えていない。これはしめたものです。新しい読み物として読めるから。

で、ごく普通に淡々と「次の日>」のリンクをクリックしておりましたところ。

「セクシーであることに疲れる」って? - 雨宮まみの「弟よ!」

 ★現在発売中の「QuickJapan」の、「NEXT JAPANESE 100」という特集に、はずかしながら雨宮が掲載されています。私が文章を書いているのではなくて、ばるぼらさんが私の紹介をしてくれています。ありがとうございます。


 ちなみに、私はばるぼらさんのサイトをインターネットエクスプローラで見ていて、文字化けしていたのですが、そのことをずっと「わざとだ」と思っていて、「今日の化け、かっこいいな」「お、文字が変わった。更新されてる」という観察の仕方をしていたのですが、先日「BECK」という文字列があったので「!!! もしかして文字化け、わざとじゃない?」と思い、Safariで見てみたら……ちゃんとした日本語だよ。今まで見てきた奇妙な文字の正体が何だったのか気になります。


 というか私はカンニング竹山が性的な意味で大好きなんですが、QJカンニング竹山が表紙だと知っていたら、もっとマシな写真を用意したのに……。

カンニング竹山が表紙のQuick Japan! それ私持ってる! 持ってるけどカンニングのパートしか読んでねえ*2

クイック・ジャパン 70

クイック・ジャパン 70

これです。なぜカンニング竹山が表紙のQuick Japanを買い、それを今まではっきりと記憶しているのか。

私はカンニングの明確なファンではなかったけれど、バラエティ番組「虎の門」(テレビ朝日)に出た二人を面白いと思い、キレ芸を面白いと思い、あちこちのテレビ番組で二人の姿を見るようになって「売れてよかったなぁ」とぼんやり思っていました。その直後、中島忠幸さんが病に倒れてしまいます。ものすごく些細なことですが、中島さんは私と同じ誕生日で、年代も近い。さらに、そのあたりで私は中野に住んでいて、中島さんがアルバイトをして後に副店長まで上り詰めた中野駅近くのお総菜屋さんで買い物をしたこともあった。そういう些細なことが積み重なって、中島さんの白血病からの復帰を願っていました。しかし、一時退院で番組に出るかも、という予告があった後に再度体調を崩し、もしかしたら相当調子が悪いのかな、と思っていたら、亡くなってしまいました。ちょうど本田美奈子.さんも同時期に闘病され、亡くなったので、単なる芸能人の訃報としてだけでは受け止めきれない重さがありました。同年代でしたし。

虎の門」で中島さんの追悼VTRのカンペを無言で出す竹山さん、流れるVTR、追悼の文字、という構成は今でも忘れません。

最後に、お笑い芸人らしく大きな口を開けて威勢良く映った中島忠幸の写真と略歴等のテロップが流れた。
背景は白地、音声は無音。お笑い番組らしからぬしんみりとした雰囲気の画面はこの言葉で締めくくられていた。

『竹山さんが突然怒りだし、中島さんがおろおろする芸で人気を集めた。12月21日 朝日新聞より』

『虎の門』での追悼 ( バラエティ番組 ) - 色トリドリノ世界・・・猫、また旅に出る。 - Yahoo!ブログ

朝日新聞の文字があったかどうかまではさすがにとっさのことで覚えていないけど、静止画になった中島さんの笑顔がとてもよくて、本当に本当に残念だ、と思ったのを覚えています。

残された竹山さんは、相方である中島さんの死についてインタビューを受けなかったそうですが、唯一*3インタビューを受けたのがQuick Japanだったそうで、それを読みたくて2007年2月に買って、処分することなく今まで持っていたのでした。やっと買ったところまできました。カンニングの話でこんなに長く書くと思わなかった。

では、その実際のQuick Japan Vol.70です。さっき本棚から引っ張り出しました。

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これを買ったときに、9年もこの本を持ち続けるとはさすがに思わなかったし、カンニングの話が意外なことにここまで自分の中に根を下ろしているとも思わなかったし、自分が使っていたサービスを提供する会社であるはてなに入社するとも思っていなかったし*4はてなダイアリーを遠くの憧れの人という気持ちで読んでいた雨宮まみさんと自社の仕事でご一緒する機会が生まれる*5なんて思っていなかったし、9年後にはてなダイアリーを読み返した挙げ句その掲載誌を自分の本棚に見つけることになるとは、まったくもって思っていなかったのでした。

雨宮まみさんの紹介文を書いたのは、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」(翔泳社)の著者であるばるぼらさんです。もちろん本は買って読みましたし(残念ながらこちらは実家に置いてあり、すぐには引っ張り出せませんでした)、自社の「はてなニュース」でばるぼらさんにご登場いただいたこともあります。

hatenanews.com

いろいろなことが、直接ではないけれどインターネット的な何かでつながって、インターネット的な何かを醸し出しているな、と強く感じた、ほんの一瞬の出来事でした。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

*1:遠因に「話題になっている」くらいはあるかもしれませんが、だいたいは思いつき、たまたま目にしたもの、くらいなイメージです。

*2:太田出版さま、著者の皆さま、申し訳ありません……

*3:かどうかわからないけど、発売当時は確かにそういう露出はなかったような気がします。

*4:入社は2008年7月です。

*5:といっても直接の担当者になったことは残念ながらまだないのでした。